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とっこさん 103歳 [おのれをひもとく]

LINE_ALBUM_210907_0.jpg
ぼくの母方のおばあちゃん、とっこさん。
本名は「得子(とくこ)さん」、生粋のハマっ子です。
ぼくがたびたびSNSに写真をあげてるので知ってくれてる方も多く、
「いつも笑ってていいよね」と、ファンもいてくれてます。

とっこさん。
103歳で、現世から次のステージにあがりました。

90代後半、100歳に向かう頃にはいつも、
出かけた先でもどこでも、店員さんなどに、
「あと2年で100です」なんて、自慢げにカウントダウンする人で。
ここまできたら100まで生きてやるわ! と言った気概が強くてね。

100歳を迎えてからは、
「100を超えてから、ほんとに体が疲れるようになったわ」と。
「なってみないとわからないものね」と、仙人のつぶやきのようなことを言ったりして。

おじいちゃんが亡くなった頃だったか。
ふとこんなことを話してくれて。
 
 人間はね、死ぬまではちゃんと生きてなくちゃいけないのよ。
 自分のことがわからなくなったり、
 ただ息をしてるような状態なのは、それは生きてるってことじゃないの。
 だから、死ぬまでは、ちゃんと生きてなくちゃダメなのよ。

100を超えた頃から、
「そろそろおとうさん、迎えにきてくれないかしら」
「『おまえ来るとうるさいから』ってなかなか来てくれないのよ」なんて。

この7月の終わり頃、103歳にして人生初の入院。
病院に駆けつけた母に、「このまま死んじゃえばよかったのにね」なんて
笑って話したようで。

そこからいろいろあって1ヶ月後、103歳にしてまさかの退院。
103歳でも退院する力があるんだ!と。
退院した週の土曜日。
母とその兄弟数人で、書類や資料をさがすためにおばあちゃんの部屋へ。
その帰り際、握手をしたときにおばあちゃんから、
「これが最期だよ」と言われたそうだ。
「まだまだよ」なんて応えたそうだけど、
ホームから連絡があったのは日曜日の夜のこと。
最後まで、ちゃんとわかってた人だった。

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おばあちゃんは、話してる最中でも、
何か困った顔をしてる時でも、
ふとカメラを向けると"必ず"笑ってカメラ目線を送る人だった。
だから、残ってるたくさんの写真は、実に見事な笑顔ばかり。
その中のとびきりの笑顔の写真をね、みんなで「これがいいよ」と決めて。
DSC_2133.jpg
母方の家はしっかりした「檀家」さんだったので、
お寺の上人とも馴染みが深く、そんな人にお経を読んでもらい、
非常に和んだ、みんなで笑い合った中で「お疲れ様でした」と送ってあげることができました。
「103歳まで生きる」ということで、ものすごく膨大なたくさんのことを、
身を持って教えてくれたおばあちゃんに、ただただ感謝するばかり。

また会いに行くからね。
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MSB48 (まさぼう:48歳) [おのれをひもとく]

さて、今年も7月7日です。
毎年、1年を振り返ります。
この1年、ほんとになにしたんだろう、って気分になるね。

昨年集中的にピアノの練習をしたのは、どちらかといえば7月よりも前。
夏から秋にかけて、少し世の中が回り出した段階で、少しだけそれを活かせたりはしたけど。
そこから、ピアノは弾きつつも、あの時期の「練習するぞ!」というのとはちょっと違ってるかな。
クラシック曲を弾き直す、というよりはより「自分の音ってなんだろう」みたいなベクトルに。
そういう意味では、ちょっとうちに籠る方へ向いちゃってたかもしれない。
と、今ふと思った。
うちに向かいつつ、さらに現場も減ってるということで、
「とっさの対応力」が鈍ってる気もしてる。
ようは「気の利いた音を瞬時に鳴らせてない」という。
それがわかってはいる。ただ、出てきてない、というもどかしさは感じてるな。

一方で、ここ数年でいちばん「インプット」に勤しんでるかもしれない。
今まで以上に音楽聴いて、ライブビデオを見て、芝居の映像を見たり。
その中から、なにか自分の「キー」になるものを、無意識に拾おうとしてるような、
そんな気がしてる。
いいように取れば、この状況が収束を迎えた後に、
再び忙しく動けるようになると(希望を交えて)見た時に、
手数をたくさん持てているように、ということなのかもしれない。
ま、そうならないうちは単純に「うちに向かいすぎてる」と言えなくはないけど。

と、そんなことにも今気がついてしまったので、
今年の後半はもう少し、外に向かえるような環境づくりをしていこうかな。
少しずつでも。

48。
2の4乗 [×]? 3。
いや、因数分解しても意味はないんだけど。
それよりも「50-2」の数式の方が、見えるな。

では、いつものように年表に加えましょうかね。

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2020年 : 47歳
久しぶりの作品集をまとめてみて、
あらためて、自分の強みは「歌だけではないメロディ」にある、
と気付かされる。
では、その強みをさらに前に出すにはどういうことができるか、
というところで少々停滞。

2021年 : 48歳
引き続き、凪いでいる世の中で見事に停滞。
「その場に浮かんだまま、少しずつ朽ちていくんだろ」という自分の書いた歌詞に、
「いや、そんなことばかりではないはず」なんて思ってみたりもして。
なんてことを言ってたら、まわりからいろんなヒントが届いたりもして。
その先に向かうために、細い糸を手繰り寄せてみようか、
と心の奥底でひそかに目覚めようとしてる、そんな日々。

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48となったまさぼうも、どうぞごひいきに。
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今年の指針 [おのれをひもとく]

そうそう、今年は丑年で年男なんですよ。
だからなんだ、ってくらいのことなんだけど、なんか区切りの1つにはなりそうだよね。

今日2日はあちらこちらの人に「年賀メール」してるわけだけど、
はがきの年賀状より、即効性の返事が来るから、そこで会話ができるのがいいね。
より、身近に相手のことを感じることができる。

さて。
毎年のごとく、今年の指針を考えようか、と。
ちなみに昨年はなかば忘れてたけど「練り直す」だったんだよね。
もうこれ、世の中のしくみが練り直されてるじゃん、てなくらいなんだけど、
自分の中でもね、いちばんはっきりした形では、数年前に担当した映画のサントラを、
それこそ「練り直して」作品集って形に落とし込むことができたんだよな。
あとは、あらためて自分のクラシックのピアニストとしての力量を「練り直した」のも確か。
わりと、ちゃんと実行してた。

では、今年の指針は?
て考えた時に、いろいろ頭の中には出てきたんだけど、それらのことをひとことにまとめると、

「つづける。」

かな。
「やめない」っていうと微妙に否定のニュアンスが出ちゃうので、
ここは肯定的に「つづける」と。
「突き進む」だと、ちょっと気負いが強くなりそうなので、
そうではなく、「つづける」。

別にこれ、今やってることがつらいから「続ける」って言い聞かせないと続けられない、
とかそういうことじゃないよ。
もう単純に、今やってることを続ける。信念持って、続ける。
考えてることを否定せず、思ったとおり続ける。

そんな感じかな。

続けた先に何があるのか。
行ってみようじゃないですか。
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47 [おのれをひもとく]

今年もこの日がやってまいりましたね。
ぼくにとっては、この1年を見直す時間であります。

47。
43から4年ぶりの素数。
都道府県の数と同じになりました。

46歳の1年間、ずっと思ってたことがあって。
村下孝蔵と大村雅朗のこと。
名曲の数々を残したこの2人はともに46歳で終わってるんだよね。
自分が今からこの2人のようになれるか、
と言ったらすでにスタートが間に合わなすぎてるわけだけど。
そうか、この歳までにあれだけのものを残してきて、
しかし、この歳でいなくなってしまうのか、と。
なんだか、ことあるごとにそれを思い出し。

今さら、大ホームラン一発逆転、
なんてことは望んでいないけど、
今ある1つ1つのことを丁寧に積み上げていけば、
その先に、今は見えていない景色が必ずあるのだ、
とそう信じながら、今は着実に積み上げていくのみ。

はからずも、この半年の間に世界中の考え方が変わって、
その中での自分のポジションというものも思い知らされた。
同時に、自分にとっての重要項目ってのも、
意図せず見えてきた。

誤解を恐れずにいうなら、
ぼくはいつも「おれ、すげー」って思ってる。
他人がどう見てるか、それはともかくとして、
「おれ、すげぇ」って思ってる。
おれのすごさに気づいたらびっくりするよ、くらい思ってる。
普段そんなこと、口には出さないけどね。
でも、思ってる。

だからこそ、さらに積み上げていけば、
それがしかるべき場所に必ず続いてる、と思ってる。
47は多分、まだその道中。
派手な動きはないだろうけど、あせらず、
その手と頭は休めず。
そんなふうに進んでまいります。

あらためて、昨年の誕生日の記事を振り返ると、
「次のステップは自分で見つけて駆け寄らなくては。しかしあせらず。」って言ってる。
次のステップ。なんとなく、見つけてるかも。

ということで、年表足しましょう。

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2019年 : 46歳
大きな新しい波、というものは一見来ていないように見えて、
ひと様のオリジナル曲をピアノでアレンジしてみたり、
曲を、音楽を作って欲しい、という依頼も少しばかりでもいただける。
自分にとっての強みは何か、というヒントをいただくような日々。

2020年 : 47歳
世界的な停滞の中においても、
曲を作って歌ってもらえる、という「別の風」も吹き込む。
そこでさらに自分の立ち位置を確認してるような感じ。
今までやってこなかったわけではないけど、
そろそろ、もっと"自分"を押し出していってもいいのかな、
とそんなことをふんわりと思っていたりする。
「明日が来るのは当たり前のことじゃないんだよ」という、
そんな当たり前のことを思い知らされて、遠慮するような時間はないのだ。

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47歳になったまさぼうも、どうぞごひいきに。
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クリエイティヴィティ [おのれをひもとく]

この、音楽的な対外活動の難しい中、
やっぱり同業のみなさんはいろいろと考えることは多いのではないか、と。

先だって、後輩ミュージシャンの1人が、
「仕事、趣味を含め音楽から離れることにした」という。
真面目な彼のことだから、おそらく今回の状況に陥る以前から、
いろんなことを考えてたんだと思う。
「仕事としてはともかく、趣味から切り離すこともないんじゃないの?」
なんて言ってみるものの、彼の中ではとにかくリセットしたいようで。

そんな彼との話の中で、こんなことを言っててね。
いわく、
知り合いのジャズフルート奏者が、ライブハウスの再開に伴って、
「やっとライブができる!」と喜んでるのを見て、
「本当に音楽が好きな人の反応はこうだよなぁ」と思ってしまった、と。

実はこの話を聞いて、あらためてぼくも気がついたことがあって。

この数ヶ月。
ぼく自分の音楽のことばっかり考えてるんですよ。
前にも言ったように、5年前に作った映画のサントラの曲を、
今できる環境に合わせて、作品として出せるように全面的にミックスし直してみたり。
昔作った曲をチェックし直して、今でも使えるか、ってものを見つけてみたり。

毎日ピアノを弾くようにしてるんだけど、
ドビュッシーの楽曲を練習し直してる以外は、
延々自分で作った曲を弾いてる。
ピアノインストの曲はそれを丁寧に弾けるように、
そうじゃない曲はピアノソロ的にアレンジしてみたり。

申し訳ないけど、
ほかの人のサポートのことだとか、
バンドの曲のことだとか、
ほとんど考えてはいない。
そう言う意味では、非常に内にこもってるとも言える。

「ライブができるようになる」という状況において、
それは「仕事をすることを許される」という意味ではうれしく思うけど、
正直なところ「やっと人前で演奏することができる!」ということでの喜び、
のようなものはあまり感じてないのが事実。
ライブに関してずっと気になってたのは、
「自分の弾き語りライブは決行できるのか」ということ。
つまり、自分の音楽であるわけで。
まあ元々ぼくは、「弾いてられれば幸せ」「弾くのが大好き!」っていう
"プレイヤー"ではないしね。

あんまり言うと「そんな思いのやつにはもう鍵盤弾きとしての依頼をしない」
とか言われちゃいそうなんで、この辺にするけど。

ちなみにこの辺のことからいろいろと考えを進めると、
ピアノ弾きとしての自分には、
そこにどれだけクリエイティヴィティがあるか、
というのが、かなりの重要ポイントであるようだ。
それは再認識したね。

そんな感じで、
この先、音楽業界の状況が元に近づいていくとなっても、
多分今までよりも、自分の作品を作ることに意識を向けていくように、
なっていくような気がしてる。
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はじまりは21年前 [おのれをひもとく]

ネットを始めた頃、いろんなページを「.html」の形で残してたものを、
いまだに保存してあるのね。いくつか。
でも、あの時代って「Netscape Navigator」だったり、なんかその辺のやつで。
今見ようとするとだいぶ崩れるし、画像データなんかは飛んでるし、
ものによってはなんのページを保存したんだかわからない、なんてことも。

昨日、あるファイルを探してる中でふと、そんなhtmlのファイルを見つけて。
「color-TV」というバンドのHP。
ダイさんに「Sunny Funnyに入ってくれ」と誘われて、Sunny Funnyのリハを進めてた時期に、
「よければもひとつ手伝って欲しい」と言われたのがこの「color-TV」。
女性ボーカルのバンドで、ギタリストも女性だったな。
ドラムは当時「HAL FROM APOLLO '69」でドラムを叩いてた変態ドラマー佐々木しげそ氏。
Janis Joplinが好き、というボーカルの方で、Janisの曲もいくつかやったんだけど、
それほど声の太い方ではなかったな。

そんなバンドの告知で「1999年5月23日(日)1st LIVE 大塚Cave」って書かれてた。
あれ? 昨日じゃん、て。21年前の同じ週末。
呼ばれて出てきたか、このファイル。

ちなみにSunny Funnyの1stライブは2000年の1月なので、それより半年前の話。
そして結局color-TVはこの1回だけだったな。
しげそさんは結構リアルな馬の被り物して叩いてたのはよく覚えてる。
この時、打ち上げの席でお客さんとか対バンの方から「初ライブであんなに落ち着いていられるの?」ってすげー言われた。
それはまあ、そこまで何年も芝居で舞台上がってますもんでね。
DSC_0169.jpg
このライブの直後に、噛み合わせを治すための、下顎を1cmずらす手術をして、
7月ごろに矯正装置が取れて、ほどなくしてボーカルクリニックのアシスタントして。
で、そこからSunny Funnyの1stライブの準備に取り掛かっていく、
というそんな時系列かな。蠢いてた時期だね。

この歳で演奏の仕事なんかしてると、相当年季入ったように見られてると思うんだけど、
実はミュージシャン歴ってさほど長いわけじゃなくて。
初めてのライブが1999年。
2000年にSunny Funnyで定期的にライブを始める、と言ってもほぼ年に2回程度のペース。
この時期は会社勤めしてたしね。芝居もしてたし。

2005年に勤めやめて音楽やることにする、って言っても、
別に「演奏」をメインにするつもりでもなかったからライブなんて全然しなかったし。
2006年の春頃からかな? 「弾いてくれ」「はいー」みたいにやるようになってったのは。
だから、歳の割にはミュージシャン歴って長くないんですよぼく。

ま、下地にあるピアノはね。40年以上弾いてますけども。
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今年の指針 [おのれをひもとく]

昨日は姉家族と妹夫婦が来て、昼過ぎからずっと飲んで食ってだったので、
今日は少しは動こうか、と、家の周りだけだけど散歩。
普段自転車で通り抜けるだけのところとか、
近いのにあまり立ち寄らないところをふらふらと。

で、中学校のすぐ裏手にあった公園に久しぶりに行ってみたら、
もう遊具的なものの配置なんかも全然変わってて。
でも、あらためて行ってみるとだいぶ広い公園だなぁ、と。

家に帰ってくるまで、なんかいろいろ考えつつ、
「ああ、2日だから今年の指針を考えよう」と。
で、ふと今見た公園を思い返し「再構築」という言葉が思い浮かび。
自分再構築、とか、そんな感じで行くかな?
とそこから2,3頭の中で考えて。

で、決めた今年の指針。

「練り直す」。

例えば曲を作る時に、いつも同じになってやしないか。
いつもやってることをいつもの通りにやってるだけになってないか。
自分の中の思考回路が、決まった形ばかりを生み出してやしないか。

その辺を今一度、疑ってかかってみようかな、ってね。
もっと、昔みたいに自由に発想できるように、
知らず知らず凝り固まってたものを、一度練り直してみよう。

2020年はそんな感じでまいります。
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愛されて、46年。 [おのれをひもとく]

夜中の1:34も過ぎて。
今年もあっけなくこの日がやってまいりました。
年の後半に入ると間も無くの七夕でございます。
今年は直前にライブが立て込んでて、すでにあちらこちらでお祝いしていただいてます。
かたじけない!

ここ数年、この日は自分の1年の成長を確かめる日。
昨年はハコバン稼業から解放された直後で、
「さてこれからどうなる!?」という状況の時だったんだよね。
わりとなんだかんだとライブも決まってた慌ただしくて。
それが数ヶ月でピタッと止まる感じもあって。
そこからやや波のある1年。

いつも、1つの仕事が終わると次の風が吹いて来て
「今度はこっちですよ」という具合に流されるのだけど。
今回はなかなかその風を感じることがなくて。
自分のアンテナが錆びてるのか?と疑ってみるも、決してそういうふうでもなく。
単純に、今回は「わかりやすい風が吹いてない」ということのよう。
それはもしかしたら「そろそろ獲得すべきアイテムは揃いましたよ」というか、
「やるべき修行はこなしましたよ」ということなのだろうか。
だとしたら、次のステップは自分で見つけて、駆け寄っていかなくてはならない、か。
とはいえ、気を急いてはならんな、というのも自戒。

ま、この1年感じてることといえば、ハコバン稼業で一度停滞してた人脈が、
少しずつ少しずつ元に戻されてる感じ。ある意味再構築。
そして、以前のようなあちこちからのオファーが少し減ってる分、
変な言い方だけど「単価は上がってる」というか。

いやいや。
なんだかんだと言ってるけど、よくよく考えてみると、
この1年で今までとは少し違う面で、力を貸して欲しいと言われる場面が増えてる。
頼られる側面が、今までの顔と違う部分に来始めてる、というのを感じてるではないか。
それがそのまま新しい風となって吹いてくるのかはわからないけど、
そこから、また今までとは違う広がりが始まりそうなことは、薄々感じてるような。

46歳。
2で割ったら素数の23。
あれ、てことは人生の半分が、大学卒業した歳ってことか!
だいぶ驚きの事実。

ということで、毎年恒例、年表に書き足します。

——
2018年 : 45歳
それまで数年の(良くも悪くも)重しから解き放たれて、
「さあ次の風をキャッチするぞ」とアンテナ張るも、凪。
そんな中で島を旅して「観光」と「訪問」の違いなんかを考えてみたり、
まだまだ自分の無意識の中に、自分の知らない自分が隠されてるな、
なんてことを思ったり思わなかったり。

2019年 : 46歳
年明け、かなり凪。
しかしその後、それまでとは違う観点からの依頼がちらほらと舞い込み始めてる。
ということに気がつくのに半年かかってる。
自分がここ数年、いや45年かけて培って来たことは、まだこの先で大きく咲くのかもしれない。
だとしたら、今はまだ双葉か。そんなふうに思ったりするよ。

---
46歳も、力まずのんびり、着実に進んでまいります。
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今年の指針 [おのれをひもとく]

年末にあるところからいただいた、今年の運勢の占いにも、
初詣で引いた大吉のおみくじにも、ほぼ同じようなことが書かれてた。

今年の前半はこまごまと大変なこともあるが、
終わる時には大きな収穫があるだろう、と。

昨年中頃に、言ってみれば「フリー転身」のようなことがあったわけで、
そこから年末までも、さしてあせらず「次の風を待とう」と思ってたわけだけど、
それでもそろそろ「あれ、無風状態?」てなことを感じなくもなく。
収入面を考えると「そろそろ何とかなって来てほしいんだけど」と感じてなくもないけど、
でも、今年の指針はこれで行く。

『あせらず進もう。』

回りを気にして、体裁気にしてあせるより、
今やっておかなくちゃいけないこと、やるべきことをきちんとこなして、
そして進んで行けば、きっと次につながって行くはずだ、と信じて。

そんな感じで、今年もがんばります。
肩肘張らずに、ここぞというときのために精進します。
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「観光客」じゃなくて「訪問客」でいたいんだと思う の話 [おのれをひもとく]

今年の最後に。

11月の父島での滞在最後の日に、ふと気がついて備忘録のようにあげたつぶやき。
「おれはたぶん「観光客」じゃなくて「訪問客」でいたいんだと思う。」
この2か月で「あの言葉がいいな、と思った」と数名から言われて。
わりとみんな、そう思ってるんだよね、多分。

このことに気がついたのは、同じ宿に宿泊してた旅行者との会話。
彼は船で到着した日の午後も、島を離れる日の午前中も、
それぞれツアーを申し込んでてね。
「半日観光で○○円て、お得じゃないです!?」と。
それを聞いた時に、ぼくは「そうですね」と答えたものの、
「そこまでして案内"してもらいたい"かな?」と疑問に感じてね。
単純に、ぼくはもっと自分のペースで、自分の気になったところを好きなように、
ゆっくり見たいな、と思ったわけで。
もしかしたらそれで、「見ておくべきところ」を見逃すかもしれない。
でも、逆に普通の人達なら見落とすところを見つけられるかもしれない。
それこそ、地元の人達は何とも思ってないところで、面白いものを感じられるかもしれない。

ああ、そうか。
彼は「観光」でここに来てるから、案内してもらってこそ有意義なんだ。

と、そう思ったら、観光案内所でドルフィンスイムのツアーの話を聞いてるときのことを思い出した。
観光案内所のお姉さんが、いろいろ悩んでるぼくに聞いてきたひとこと。
「何で悩んでますか?」
そう聞かれて、自分でも何に悩んでるのか、よくわからなかったんだよね。
時間? 別に帰る時間が早くても遅くてもかまわないだろう。
値段? 旅の最中に出費を渋るようなことは考えてない。
じゃ、何悩んでるんだろ。
自分でもなんだかもやもやっとしてたんだけどね。
この時、きっと「これを申し込むのは『観光』だ」ということに抵抗を感じてたんじゃないか、と。
全く無意識だけど、これは間違いない。
ただ、海のアクティビティはさすがに自分ではどうにもできないし。
最終的には思い切って「観光」に踏み込んだわけだけどね。

そんなこんなで、自分は「観光」をしたいわけじゃない。
となると、そうか単純に「訪問」したいから来ただけなんだ。
そこで普通に過ごしてる人に混じって、「おじゃまします」って、
そこにいさせてもらうのがいちばん楽しいんだな、ってね。

そんなことに気がついて、
帰りの24時間の船の中でPCに書き残しながらも、
その後の慌ただしさでなかなかブログにあげられなかった文章を、
今年最後にちゃんと書き残しておこう。

------
最終日の朝。
早くに起きて、目の前のビーチでしばしぼーっと。

この浜辺が、ここの人たちにとっては日常なんだよね。
われわれ訪問者は「海ー!」って喜んでるけど、
ここにずっといる人にとっては当たり前のもの。

逆を考えれば、
ここの人たちは東京の街に出てきて「ビルーー!」ってなるわけだよね。
でも、それはぼくたちにとっては日常であって。

この島を一度体験したい!と思ってここに来たわけだけど、
ここで育った人は「東京の街を歩きたい!」という人もいるだろう。
それこそ、ここに限らず全国的に、
「銀座のケネディハウスで音楽を楽しみたい!」と想い募らせて、
見に来てた人もいるだろう。
で、ぼくはそんな方々の前で、いわば憧れ対象の中で仕事をしてたわけで。
それは、「父島に行ってみたい!」と思ってたわれわれを迎える宿のみなさんだったり、
ダイビングのクルーであったり、と同じことなんだよな、と。

ようは、役割分担だよね。
その役割分担があって、みんなが楽しくなれる。
そういうものかな。

この景色を「自分の日常にしたい」と思っちゃえば、そうすることもできる。
本気で移住を考えるくらい、気に入ってしまえばそれもそれ。
(実際、ここにはそういう人たちが多いし)。

でも、多分ぼくは、こういう場所においてはずっと「訪問者」でいると思う。
ぼくの役割は違うところ。
それこそ、「訪問者」でいることが役割なんじゃないかな。

そんなことを思いつつ、「じゃ、次はどこへ行こうかな」と、
楽しみを膨らませるばかり。

------

来年もふらっと、旅に出るつもり。
多分、今度は島じゃないところ。
すでに候補はいくつか。

そのほかに、川跡だのなんだのとふらふらします、たぶん。
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