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父島訪問記 島4日目 [散歩組]

最終日の朝はちゃんと早めに起きて、
目の前のほぼプライベートビーチでチャプチャプと。
いろんなことを考えたんだけど、それはまたあらためて書くとして。
水の中に砂紋がきれいに見えてるね。
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朝食の後はゆっくり部屋の片付けと荷物作り。
長期滞在の仕事の方々も、なんだか今回の便で東京に戻る人がいるとか。
さながら引越しのような作業を昨日の晩からいろいろやって大変そうだった。
9時半ごろに、出ようと思ったらお父さんが2階のデッキを掃除してて。
「昔からずっとここなんですか?」と聞くと、
「うん、まあ10年くらいかな?」と。
やはり移住して来て宿を始めたらしい。
「ここは8割がた、外から来てるからね」と。
そういえば、観光業をやってる人のほとんどは移住者だと聞いたな。

ほんとにお世話になりました。
それでは、2時半に荷物をお願いします、と預けて。
徒歩で扇浦のビーチへ。
宿のすぐ前のビーチと扇浦のビーチの間にはちょっとしたとっ先があって、
となりだけど繋がってはないのね。
それだけに、ほんとに知ってる人じゃないと降りない浜だったんだな。あそこは。

しばらく扇浦でぼーっとした後は、ちょっと探検。
現地の地図には道として載ってるけど、
おそらくそんなにわかりやすい道じゃないんだろうな、
というところを入って、小笠原神社に行ってみよう、と。
さらには、いろいろと碑があるらしい、と案内には出てる。
・・・え、この先に?
というところを上がっていくと、確かにあった。
正直、こんなところにあってもだれもこないだろ。
というか、今おれわりと怖いんですけど。
こういうの、突然出てこられると逃げたくなるんだよね。
でも、せっかくなのでしっかりみておこう。
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そしてすぐ後ろの階段を上がると神社。
これまた、ちょっと怖いな、と。
それでも、「島におじゃましました」と告げて。

ところで地図上にある「分かれ道」がどこだったのかまるでわからない。
この先に行くと「扇浦と二見港がよく見える」という納涼山というのがある、
って案内には出てたはずなんだけど。
と、見回してみて、ちょっと息を飲む。
まさか、これ? これを「道」と呼ぶ?
そこに木の案内板「納涼山 90m」とくくりつけられてたのでかろうじてわかったけど。
どうしよう、これ、登り始めて道がわかるんだろうか?
10秒考えて、「よし、行ってみよう」と決意。
決意したものの、いざ登り始めたら若干後悔。
ま、なんとか道らしきところを登りたどり着きましたさ。
うん、たしかに湾はよく見える。
でも、それ以上にこの場所がちょっと怖い。
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そして、引き返すのも怖い。
「地図上」ではその先にも道があって、
すぐに道が交差し、さっきの神社の麓辺りに戻れる、となってる。
うーん。よし、信じてみよう。
信じてはみたが。
「これ、道だよね。きっと。」と言い聞かせながら草をかき分ける。
もはや、ただの森の中、というところに案内板が立っている。
ああ、これ、ちゃんと道だったんだ。
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そしてその案内板のところが2つの道の交差点らしい。
もう、どれとどれが道なのか色覚検査の絵本のよう。
一応、案内の示す方向へ草をかき分け進む。
これがもし道じゃないんだとしても、そんなに山に入って来てるわけではない。
必ず降りられる。と信じて。
はい、確かに戻りました。
これのどこに「わかれ道」がひそんでいるか。
そう、よく見ると左側に木の行き先表示案内があるのよ。
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ちなみにちょうど今さまよった(いや、正しい道だったよ)山の下を、
「軍用隧道」というのが通ってると書かれてる。
試しに回って見ると、これ。
うーん、立ち入り禁止となってはいないけど、ここは本当にやめておこう。
おれの中のなにかが「行ってはいけない」と言っている。
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さて、せっかく余裕もあるしそれならこの隧道の向こう側、回ってみよう。
扇浦の交差点から山に向かう道をしばらく歩く。
ずっと上り坂になってるんだけど、脇は海へと続く沢が深く刻まれてる。
しばらくすると左に農道のようものが。
これをしばらく行くと、さっきの隧道の続きにぶつかるはず。
しばらく歩くと、道はぶつからずに右のほうに逸れて行く。
あれ、そんなことになってるの、この道。
右に曲がって行くようには書かれてなかったはず。
と、その右に曲がって行く辺りで左手を見ると、なんと!
うっすらトンネルが口を開けてるではないか!
隧道、通り抜けたとしてもこの状態じゃ怖くて進めないわ。
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最終日にしておれ相当サバイバルしてねぇ?
と思ったものの、ふと考えたら「昔の人はこれを使ってたわけか」と。
資料によれば、今の島の中心となってる大村地域と同様に、
扇浦は明治の時代から集落ができ、役所機能もあったという。
だからこそ、今は誰も行かないようなところに碑が立ってたり、
神社もあれば山道も整えられたわけだ。
今、そうなっていないのはすべて、戦後に米国支配になったことが理由なのか。
そのままここに集落があったら、今ごろこの辺も栄えてたのかもしれないな。

バスまでの時間もまだあるのでさらに散歩。
なにやら新しい家がたくさん並んでるエリアがあって。
そこに入り込んで行ったら「交流センター」というバス停がある。
どうやらこの整えられたエリア一帯、交流センターと呼ぶらしい。
新しい宿やカフェなど、精力的に作ってるようだ。
その裏手は「こうもり保護エリア」。
その入口脇を回ってくると、扇浦の海岸の方へぐるっと回り込む形になる。

さて、今回2回目のバスに乗って街の方へ。
この前行った「ローカルベーカリー」さんで、
帰りの船の中で食べるパンを買っておこう。
清瀬の交差点からパン屋さんへ向かうと、結構大々的な住宅。
都内の都営住宅と同じような形ものがたくさん並んでた。
島の元気な子供たちはここにいるのか。
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さて、パン屋さん。
フィッシュバーガーとか美味しそうだったから、あれ食べたいな。
なんてワクワクしながら入ると、その手のパン一切なし。
「もうなくなっちゃったんですか?」と聞くと、
「今日は出航日なんでね」と。なるほど、みんな考えるのは同じなんだ。
あの時、いろいろ食べたいパンはあったけど、今日はある中から選ぶしかない。
でも、たくさん買えて。これは明日の朝にしよう。
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パン屋さんからは、大神山公園の北側エリアを抜けて大村の街の方へ。
お昼ご飯はこちら、テツヤキッチンさんのてつ家カレー。
島の野菜たくさんと島で採れた白身魚のフライがついて。
思えば、島の料理っぽいもの大して食べてないな。
亀の刺身も食べなかったし。
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で、ここからはお土産探し時間となって。
東京戻るとあれこれ予定が詰め込まれてるからね。
その人たちに向けて。

さて、2時半。
宿のお父さんとお母さんが荷物を持って来てくれて。
あらためてご挨拶。

さて、出航時刻。
たくさんの人たちが見送りに来てくれて。
「行ってらっしゃい」「また来てね!」などと声をかけてくれたり。
船が着いた時から船が出るまでの間にできたそれぞれの出会いと結びつき。
それが、出航の時に見えて来るんだな。

しかし、だ。
その結びつきのできた相手がそこにいないと、それはただの船出。
感動的なシーンも第三者的視点になるわけで。
ぼくには手を振る相手がいなかったもので。
宿のお父さんおかあさんが薄情にも見送りせずに帰ってしまったのか。

実は、乗船手続きを済ませたころ、2人を見かけたのね。
あれ?荷物持ってる。
「乗るんですか?」と聞くと「ちょっとおつかい。」とのこと。
あー、長期滞在の人が「宿を移る」というのはそういう理由だったのか。
なるほど。
と思ってたところに、昨日のシュノーケリングのクルーだったなおみさん。
「あれ?なおみさんも東京ですか?」と聞くと。
なんでも、来る時の船の中で聞いてた「小笠原レクチャー」を、
次の便ではなおみさんが担当することになってるらしい。
そのためにこの便に乗って東京へ向かうそうだ。

手を振るべき相手がみんな一緒に乗ってる側にいる。
そういうこともあるんだな。それはそれで面白い。
なおみさんによれば、この時期は人も少なめだし、
長期滞在も少なくなるので、今のうちに「内地」に出て、
その後、正月準備をするのだそうだ。
いろいろ見えて来ると面白い。

日没を見にデッキに出てところでタラヲさんと遭遇。
日没方面雲がかってて水平線に沈むのは見えなかったけど、
きれいに焼けてたなあ。
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で、お互いにこの数日間のことを報告しあって。
夕飯、時間合わせましょうか、ということで19時にラウンジの方へ。
お互いのここ数日間の話、音楽の話、暗渠の話、なんだかんだといろいろしてたら、
気がついたら23時近くにまで。
ま、これだけ時間気にしないで話できる機会もそうそうないしね。
で、話聞いてて、やっぱり母島も面白そうだな、と。
いずれ、時間を作ってこんな度は母島の方にも、ね。
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