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矢野顕子、忌野清志郎を歌う/矢野顕子 [勝手にディスクレビュー]

久しぶりに「勝手にディスクレビュー」をしようかな。
と思いたい1枚を聞いたもので。

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矢野顕子 「矢野顕子、忌野清志郎を歌う」
2013年2月6日発売
YCCW-10192

忌野清志郎の曲を10曲。
本人の弾き語りで8曲と、エレクトロニカ的なアレンジで2曲。
さらに、矢野さんの『ひとつだけ』をデュエットしたものが最後に加わっての全11曲。

ぼくはRCもそんなにどっぷり聞いてなかったし、解散後のいろんなユニットとかソロのアルバムとかも、
しっかりと聞いたわけではなくて。
ただ、毛嫌いして聞かなかったわけでもないし、それなりに耳に入ってくるものは聞いてたし。
でも、やっぱり知ってる曲は決して多くはない。

多分、そういうぼくみたいな人と、ずっとずっと清志郎さんを好きで聞いてた人とでは、
このアルバムの聞き方も印象も、全く違うものなんだろうなあ、と思う。

矢野さんの弾き語りによるカバーの特徴でもあるんだけど、
楽曲の芯がものすごくあらわにされるでしょ、この人の歌とアレンジは。
そういう点でも、間違いなく「作家:忌野清志郎」に焦点を当てることになってるんだよね。
だから、ぼくなんかは「いい歌だなあ」と単純に思うだけだけど、
清志郎さんの歌が好きな人にとっては「いや、これはこういう歌じゃない」と思う人もいるかもしれないし、
逆に好きな人だからこそ「よくぞ、この部分を表に出してくれた」と言う人もいるかもしれない。
(ちなみに、ぼくは矢野さん弾き語りのSMAPの『しようよ』をライブで聞いた時に「この歌はこんなにすごい歌だったのか!」と気がついたことがあった。)

今回のアルバムの中でぼくが知ってたのは3曲だけ。
そのうち2曲はバンドアレンジされたもので。やっぱり知られた曲は、わかりやすい弾き語りよりも、ということだったのかな?
1曲目の『500マイル』はほぼフリージャズで、アルバムの入口をすんなり通してはくれない設計。
『デイ・ドリーム・ビリーバー』は弾き語りだけど、サビが来るまで、いや、サビが来ててもそれと気がつかないかもしれないほどの換骨奪胎具合で、早くも真骨頂、という感じ。
『多摩蘭坂』は、オンド・マルトノがころころと響く、イメージ的にはドイツ歌曲のような仕上がり。原曲や、弾き語りならこうくるだろうな、というイメージから全く想像着かないアレンジになってて、アルバムの折り返し担ってる感じだね。

それ以外の曲は原曲を知らないので、それとの比較はできないんだけど、
単純に、いい曲が並んでるなあ、とね。
『雑踏』の「会いたい人がいるんだ」の切ない感じだったりとか、後半の『約束』『恩赦』『セラピー』というならびにグッとつかまれてしまって。
『約束』の「また今度会いたいね」とか、『セラピー』の「そんなに心配するなよ」って言葉が何とも言えない思いにさせられる。

で、そんな気持ちにさせられたところで、矢野さんと清志郎さんのデュエットで『ひとつだけ』が全部を包んでくれちゃって。
最初にアルバム通して聞いた時に、『ひとつだけ』の1コーラス終わった辺りでわけもわからず涙が込み上げて来て、ぼろぼろ泣いてしまった。
1曲1曲を聞いてももちろんすごいんだけど、1枚通して聞くことでその力にひれ伏すしかない、というか。
天才2人にしてやられた。

ご本人が言ってたように
「ぜひ聞いてほしい。そしてこれを聞いた後に、原曲をぜひ聴いてほしい。」という通り、これは原曲もきちんと聴かなきゃいけないな、と思った。

このアルバムを、キヨシローファンはどう聞いたか、聞いてみたいね。

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レコード会社の、このアルバムのトレーラーがYouTubeに上がってるので貼っておきますね。
気になった人はぜひ聞いてみるべきだと思います。


おまけだけど、先日のFMの美雨ちゃんの番組に出演したときの音声があがってたので、これも聞いて見るとおもしろいかも。
完全に矢野さんがお母さんの声になってる。
そして、美雨ちゃんにとって「お父さんとキスした人」という認識。

今回のアルバム。
タイトルが「トリビュート」とか大げさなものじゃなくて「忌野清志郎を歌う」という、その事実だけをタイトルにしてるのが、いちばん感慨深かったりするね。
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