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いつもニコニコ [おのれをひもとく]

とっこさんがあちらへ移ってから、今日で1年。
先日、一周忌法要を終わらせてきたのだけど、その時にお寺の聖人からも、
「とっこさんは、いつでもニコニコしてらっしゃいました」と。
よくお寺のお手伝いに行ってたおばあちゃんのことは、聖人もよく覚えてくれていて。
いつも笑顔でいることは、本当に大事なことだ、と。
まあ、そんな一周忌法要に集まった親戚一同、みんな笑い合っていたわけだけどね。

昨年の7月も終わりの頃。
昼にワクチン打って、夜はセッションホストだった日。
セッション開始してすぐの頃に、母から家族LINEで「とっこさんが病院に運ばれた」という連絡。
とにかく今から行ってくるから、ということで。
そこからもう、気になってしょうがなかった。

で、ぼくと同じくらいの時間に帰宅した母にきいたところ、
ホームで、いつもと少し様子が違って熱も出てるので病院へ。
いろいろと検査した結果、原因は確定。
ただ、手術をするには体力が持つかどうか、という状況。
とりあえず鎮痛剤で落ち着いたところで、とっこさん。
駆けつけた母や親戚に「わたし、倒れたの?」と。
状況が全くわからないままでいたところに、いろいろと説明をして。
すると「ふーん。そのまま死んじゃえばよかったのにね。」と言ったそうで。
普段から「そろそろお父さん迎えにきてよ」と言いながら、
体調が悪くなると「早く治して!」って思う自分のことを、
「矛盾してるよね。ふふふ。」と笑ってたもんだけど。
いっそ、わからないうちに船に乗ってしまえばよかった、ということだったようで。

この日からしばらく、母の兄弟は仕事を調整しながら病院通い。
このコロナ禍において、病院の方でも面会させてくれたりして。
さすがにずっと寝かされたまま、点滴で物も食べられない状況となると、
意識の方も心配になるのだけど、実際に会って話ができた時には割とちゃんとわかってたみたいで、
「まだそんなにボケてないよ」と本人の口から出るほど。

そんな日々の中、流動食ながら口から食べ物を入れられるようになり、
しだいに固形物も大丈夫になり。体の方は順調に回復。
しかし、意識としてはONのときとOFFのときがあるような状況になってきたらしく。
さすがのとっこさんも、この環境で正常を保つのは難しいか、と。

それでも、入院から4週間で退院。
まあこれ、「元気になったから退院」というか、
「今の状況なら、病院にいてもホームに戻っても、あまり変わらないですよ」
ということで、ならば戻ってた方が気分も落ち着くでしょう、ということ。

退院の日に何も仕事の入ってなかったぼくは、母と、母の姉とともにホームで帰宅待ち。
待ってる間、それまでの1年半、入ることの叶わなかったおばあちゃんの部屋を片付け。
コロナ騒動で面会もできなくなって以来、おばあちゃん一人では部屋の片付けにも限界はあるよね。
という覚悟のもとに一気に片付け。
「もうこれは必要ないだろ」っていうようなものは全部ひきあげたりして。

で、片付けを終えて少しして、おばあちゃん到着。
ぼくは、入院以来はじめてのおばあちゃんとの対面。
入院ですっかり痩せちゃったのに加えて入れ歯も入れてない状態で。
うわ言のように「苦しい」「トイレに行きたい」を繰り返す。
今の自分の状況、どれくらいわかってるかな? って。
病院からホームに帰ってきた、というのもわかってるかどうか、といった具合。
正直に言えば、この退院の状況を見た時点で、近い将来の覚悟はできた、と言えるね、ぼくは。
前段階でワンクッション、入れられたというか。

それでもおかしいのは、ある時「苦しい」と言ったあとに「103だから」と付け加えたこと。
あ、そこのアイデンティティはしっかりあるんだ、と。そりゃ苦しいよね、って。
さらには、「かずさん大丈夫?」と、今年92になる母の姉のだんなさまの心配を口にしたこと。
ああ、ちゃんと今ここに誰がいるのかわかってるんじゃん、てね。

帰り際、「じゃ、またくるね」と握手した時に、
おばあちゃんはいつもの顔でぼくに「あったかい」と笑いかけてくれた。

そこから1週間後、だったね。

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年月が経つと、今の自分の記憶からいろいろと薄れていきそうで、
さらに違う記憶のようなものを被せてしまいそうで。
1年経ったところで一度、きちんと思い返しておこう、ってね。

今日も、われわれのアルバムのなかのとっこさんはニコニコしてます。
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