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きっかけかぁ [おのれをひもとく]

この前のシマッポ散策のあとに、川仲間の1人、lotusさんに聞かれたのね。
「まさぼうさんが暗渠歩きを始めたきっかけって、なんだったんですか?」と。
これ、前にも誰かに似たようなことを聞かれたと思うんだけど。
実は、自分で自覚できる「きっかけ」が思いつかないんだよねぇ。
なんていうか、気がついたら突っ込み始めてた、というか。

小さい頃からその片鱗はあって、それがだんだんはっきりとここに移行して行った、という。
そういう部分では、こんな下地がいくつかあったのは事実で。

○地図を見るのが好きだった。
○路線図を見るのが好きだった。
○区境、県境に非常に興味があった。

たびたび言ってることなんだけど、小学生の頃は「電車が好き」だったのね。
「電車が好き」と言ってたし、まわりもそう認識してたんだけど、今にして思えば「地図が好き」だったんだよね。
電車の形とか、内装とか、新型車両とか、そういうことはどうでもいいの。
それよりも「○○線はどこを走ってるか」とか「○○駅は何区にあるか」とか、そう言うことが重要で。どこの駅とどこの駅は地下でつながってる、とかね。
何線に何と言う駅があるか、時刻表を見ながら自由帳に延々駅名を書き写す、ということをして楽しんでたし。
地下鉄の建設予定の線路を地図に書き込んでみる、なんてことをして楽しんだり。
(余談だけど、この当時の半蔵門線の終点予定は『蛎殻町』、有楽町線は『湾岸』だったと言う時代です。)

小学校の頃には、自分が住んでた中目黒から「目黒川を遡ってみよう!」と友達と自転車で遡上、まだ北沢川と烏山川の合流点がしっかり川だった頃に手前の橋からそこを感慨深げに眺めてたのははっきり覚えてる。
さらに、生活圏である蛇崩川の遊歩道(あの辺では「遊歩道」と言ったら蛇崩川をさします)の途中に「蛇崩川支流」と書かれた路地が出現したのを見つけて、それをたどって行ったら祐天寺の近くまで出て面白いなあ、と感じたり。

中学の頃には、自転車で「目黒区の区境を1周してみよう」と自転車でまわってみたり。
生活圏の外ではあったけど、なにかの時に通った茶屋坂の変な橋のようなものが何か、ずっと気にかかってたり。

高校時代は、高校までの道中「水車橋」というバス停を横目に見ながら「橋?」と思ったもののそこから「品川用水」まで意識は飛ばず。
一方で「呑川を遡ってみよう」とかってことはしてる。

ただ、かと言って意識が「川跡」に完全にシフトするのはまだまだずっと先なんだよね。
大学時代、大学まで自転車で行くときにわざわざ谷戸前川を選んで通ってはいるものの、学校近くにあった三田用水跡とか清正公前なんか頻繁に通ってたけど、それと意識はしてなかったし。

気がついたのは、キーワードとして「たどる」ということ。
電車の未成線や廃線跡だったり、気になる細道だったり、"地図上"で確認した川の跡だったり。
多分「川跡」とわかってたどることはしてたんだよね。
でも、そこにまだ「高低差」と言う概念は存在しなかったんだよ。最初は。
そこを気にし始める過程、というのが自分の中ではっきりしてはいないんだな。
いつ頃のことだったのか。

ぼくがネットを始めたのが1997年。
それからほどなくして、庵魚堂さんの『世田谷の川探検隊』というページを見つけたんだと思うんだけど、その時にはすでに「あ、1人じゃない!」って思ったという記憶と、まだページに載ってない川跡があるなあ、と思った記憶はあるので、まあその近辺で何か徐々にスイッチが入って行ったんじゃないか、と。

その当時は毎日事細かに日記をつけてたから、もしかしたらそれ見直したら何か出てくるかもしれない。
いや、見直さないけど。別に。
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M.ai

先生、鳥瞰図はお好きですか?
by M.ai (2012-05-07 22:55) 

庵魚堂

はいっ、一人じゃありません庵魚堂です。
私の場合(って訊かれてないけど)一人になりたいわあ、ってのが発端でした。オフ会やると軽く100人超えちゃうような狂乱の数年間を乗り超えて、もう金輪際ネットには関わるまいと逃げこむように耽溺したのが川跡の世界。そこで出会ったのがまさぼうさんとかBakeさんとかほんださんとかの、すごーく普通の人たち。思えばずいぶん長い付き合いになりましたよねえ。実はいろいろバカやってたんですよ私。
by 庵魚堂 (2012-05-08 01:37) 

lotus62

なるほどなるほど…。
実はもともとは、まさぼうさんの本職である音楽と何か関係があるのかな、と非常に単純な仮説のもとにおききしたのでしたw
電車にしても、その「どこかとどこかのつながり」に興味がおありだったんですね。
私も暗渠が気になりだす前には素地(?)として「地図好きだった」というのは一緒です。それと、私はもっともっとあとになりますが、webで「世田谷の川探検隊」を見つけた時の興奮もw
今こんなお話がみなさんとできることに感謝したい気持ちです。
by lotus62 (2012-05-08 08:59) 

nama

こんにちは、先日はお疲れさまでした。

そういえば餃子のときにそんな会話をされてましたね。
わたし、今回のGWで帰省した時に、たまたま実家近辺で自分の「暗渠好き」のルーツにかかわるものを幾つか確認して、それで、次あたりの記事にしようと思っていたところでした。なので、まさぼうさんのこの記事とのちょっとしたシンクロにご縁を感じているところです。
まさぼうさんは電車もでしたか。駅名や建設予定の地下鉄を書き写す、っていうところにその好きっぷりが感じられてすてきですw

・・・で、自分の記事の内容を大体決めたところで、上の庵魚堂さんの書き込みを拝見して、「あぁそうだ!それもあった!」と思いました。暗渠で好きだなと思っている要素のひとつに、「家々が後ろを向いている」というのがあって、それも含めてわたしはあのぼさぼさした空間で一人でいられるということがとても好きなんでした。でも、暗渠が好きになった理由って1つじゃなくて複数にまたがる気がしていて、そして幼少期に片鱗があったりしますよね。そこは要素が違えど、まさぼうさんの書いてらっしゃることに近いなあって思いました。
・・・って、なぜここで語っているのか・・・すみません。。。


by nama (2012-05-08 15:51) 

まさぼう

>M.aiちゃん
鳥瞰図にはそれほど食いつきません。なんか、もっと平面から立体を想像する方が楽しいのかも。

>庵魚堂さん
ほんと、思えば長い付き合いになりましたね。
しかし、庵魚堂さんが繋いでる縁て結構多く、そして深かったりしてますね。
「探検隊」の存在ってわれわれにはホントに大きいです。
ありがとうございます。

>lotus62さん
なるほど、そういうことでしたか。
音楽と川跡は、ぼくの中では全くリンクしてないですね。はは。
やっぱり、地図から派生して行くんですかね。川跡は。

>namaさん
たしかにこの辺の、特に細い暗渠は家々がみんな後ろ向いてますよね。
なんかそれが「残念だなあ」と思うこともあるんですが、もともと水路だったことこと考えれば、そっちを表にすることは出来ないわけで、当然なんですよね。
namaさんのきっかけ話。楽しみにしてます。
by まさぼう (2012-05-11 00:26) 

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