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ギター少年のままのような人 [音楽]

書こうと思ってたんだけど、なんか、すぐに書く気持ちにもなれなかったので。

ゴダイゴが流行ったのは、ぼくが幼稚園の頃のこと。
富山に住んでた頃に、本当によくTVで見てた。
それまで出てくるグループと全然違って、
まず日本人と外国人が一緒にやってる、という不思議さ。
日本人なのに英語で歌ってたりする衝撃。
なんだかインドの町のことを歌ってたり、「名前」について歌ってたり、
それまでの歌謡曲とは歌ってる内容が全然違う、という謎。
そんなこんなでかなりインパクトの強いグループだった。
ま、そんな中で『MONKEY MAGIC』がかっこよくて大好きだった、
というのはその時期からファンクなものに反応してた証なのかもしれない。

2015年に一緒にライブをやることになったのは、まあたまたまのこと。
セカンドコールとしてぼくに連絡があって、担当することになったわけで。
「ゴダイゴの人と一緒にやるまでになったか、おれは。」なんてことをちょっとだけ思ったりして。

リハの時に初めてお会いした浅野さんは、すっとその場に解けるような人だった。
大物然としたところとか、先輩風ふかせるようなところとか、
そんなことを一切感じさせなかった。
なんというか、良くも悪くもなのか、
「気持ちよくギターを弾いてられればそれが一番」と言ったような、
そんなギター少年的な雰囲気ですらあったかな。
リハの時も、本番中も非常におだやかで、
その感情はすべてギターを通して外に向けてるような人。

「幼稚園の頃じゃ、全然覚えてないでしょ」と言われたのだけど、
先にも言ったように、ものすごい印象の強いグループとして、
ちゃんとその音とともにぼくの記憶には深く残ってる、ということもお話しして。

この、浅野さんと一緒にやったライブがきっかけになって、
ぼくが銀座のケネディハウスのハウスバンドに引き抜かれた
というのは今までもよく言ってる話。
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ちょうど、その話が決まった頃に浅野さんとお会いする機会があって。
その時に「なんとこの前やったケネディハウスで、ハコバンやることになりました。」
ということをお伝えしたのね。
すると「すごいね。よかったね。」とおっしゃってくれて。
そして「ぼくも昔はたくさんハコバンやったよ。面白いけど大変だよね。」と。
そうか、この人にもそんな時代があって、そこからのゴダイゴなのか、と。

とにかく、浅野さんとのこのライブがなければ、ぼくがその後ケネディハウスで弾く、
という日々はなかったわけで。
そういう点でも大きな分岐点を、きっかけを作ってくださったわけで。

ご一緒したのはこの1度だけ。
その後にまた声かけてもらった時には、別の予定が入っちゃっててご一緒できなくて。
今はハコバンからも離れたので、機会があればぜひまた、という気持ちであったのだけど。

残念ながらその共演はかなわなくなってしまった。
今月末にもDoppoでのライブの予定があった、というのにね。

近いところにいるから会う機会はまたあるだろう、
なんてことは全く保証などされてないわけで。

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浅野さん。
その節は本当にお世話になりました。
またゆっくりお話ししたかったです。
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