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オンリーワン・シアター「初めて自転車に乗れた日」 [芝居]

「過去は振り返らずに、前だけ見て進みなさい」
というのは、歌なんかでもよく言われてることだけど、
ぼくには大切にしてる過去もたくさんあるので、たまには思い返します。
ただ、それは「あのときに戻りたいな」とかって浸るわけではなく、
多分、その時の自分と今の自分の距離を測るためなんだと思う。

ということで。

たびたびぼくが名前を出す、ぼくが大学在学中からやっていた自分たちの芝居組
オンリーワン・シアター
偉そうな言い方になるのでこの言い方は避けて来たけど、
言ってしまえば「ぼくが主宰してた劇団」ということになる。
そのオンリーワン・シアターの2作目「初めて自転車に乗れた日」を上演したのは
1997年3月7〜9日
そこから20年、経ったわけだ。20年、経ったのだねぇ。

この話を書いたのは、ぼくが大学4年の、卒論を書き上げた後。
あとはもう卒業式を残すのみ、という時期に、卒業旅行に行く代わりに
芝居をやったわけだ。
そんな時期に書いたものだから、
意図せず「学生を卒業して社会に出る不安と疑問」に満ちている。
満ちている、というか、書き上げた時に話のすべてが”問いかけ”で、
一切その疑問に答えを出さずに未来に期待だけをして終わってることに気がついた。
その時期の自分が何かものを言うとしたら、そういうことしか言えなかったんだと思う。

もともと、なんとなくタイトルを「初めて自転車に乗れた日」にしよう、
ということは決めてた。
ただ、それがどんな話になるのかなんて、まったく決めてはいなかった。

この1年前、旗揚げ公演「10000ピースのミルクパズル」を書いてる時期に、
深夜のフジテレビでやってた「NON FIX」というシリーズの
「きむ・むいののこしたもの」というドキュメンタリー番組をたまたま見て。
在日朝鮮人であるライターのきむ・むいさんという方が、
祖国である北朝鮮を批判する記事を書きながら、一度その実態を自分の目で見てみたい、
と渡航の申請を出すも受け入れられず。
「どうしても行かれないんですよ」と酒の席で悔しがっていて、
その後渡航できないまま亡くなった、ということを、本人映像一切無しで番組は作られていて。
この番組のことがなぜかずっと心の中に残ってて。
(今でもこの番組はもう一度見てみたいと思ってる。)

ある日、夜になかなか寝付けなくて布団に潜りながら、なぜだか無性に、
自分が小さい頃に住んでいた富山に「今すぐ行きたい!」と焦がれるように
思ったことがあって。
あの気持ちの素がなんだったのかいまだによくわからないんだけど。

それからしばらくしたら、自分が無性に富山に行きたくなったこと、
ドキュメンタリー番組のこと、
それが重なって「行きたいのに行かれない場所」というイメージが出来上がってきた。
そこに、「まっすぐ前に進みたいのに、なぜか右へ左へ曲がってしまってうまく進めない」
という、初めて補助輪を外して自転車に乗る練習をした時のことが結びついて。
そして「初めて自転車に乗れた日」という芝居の一番の下地が出来上がった。

話は2人の姉妹と、姉の婚約者、姉妹のいとことその友達2人、という6人が、
姉妹の引っ越しの手伝いをしている、という70分。
最終的に、部屋に何も無くなって「じゃね」と挨拶をして出て行く、というエンディング。

「引っ越しの最中に話をし過ぎだ」とか、「話にいちいち言い訳をしてる」とか、
いろいろと批判はいただいた。
もちろん芝居という形で見ていただいてるので、その辺は言われて当然だ。
でも、なんというか、
ぼくはとにかくここで、自分自身の決意表明のようなものを
ただただ出しておきたかったんだと思う。

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「自分のやりたいことに向かうのって、そんなにいけないことかな?
  世間的にいけない人間なのかな?」
「・・・まあ、いろいろ言われちゃうのはしかたないんじゃない?」

「ただね、おれ、この先どんな風でも、自分が間違ってないって思える限り
  後悔はしないと思うんだ。
  正しくはないかもしれないけど、間違ってはないと思ってるからさ。」
「ごめんね。あたしは何も言えないけど、応援ぐらいはしてあげるわ。」
「ありがとう。」
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自分の言葉を一番信頼してた役者に言ってもらった。
自分で言うには、多分重すぎたんだろうな。

確か千秋楽を終えて、みんなで和を組んだ時にぼくは、
「この芝居を、40を過ぎてからまたやったとしたら、自分がどんな風に感じるのか、
 答えが出てるのか、試してみたい」
って言った気がする。

実は図らずも、ここから5年後の2002年5月に「180℃」という芝居を書き、
そこで一度その答えを出し切っている。
これもまた自分の決意表明のような芝居だったんだけど。
全部書き上げて、公演を終えて、
「あー、『自転車』で投げかけたことに答え出してたわ、これ」と感じたような。

もしかしたらそこからまた考え方が変わってるかもしれない。
もし変わってたとしたら、もう無理だと思ってた「次の脚本」が書けるのかもしれない。
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